2月1日、天候晴れ。
予定通り貝塚市のお客様の外構工事着工いたしました。
今日、明日は掘削工事です。
私も近畿道・阪和道をぶっ飛ばし8時半に現場に到着。
お客様に(もうすでにご入居されています)ごあいさつをした後、
職人さんと掘削範囲の確認&打ち合わせです。
←掘削作業風景
小1時間ほどで現場を離れ大阪に戻ろうと貝塚ICから阪和道にのったところで
なんと!堺~長原間が事故渋滞10キロとの表示がぁ~!(ー0-;ゲゲェ~)
高速入口の手前に表示がなかったんだもん!!やられたぁ~デス@-@;。
走りながら「どうしようかなぁ~手前で降りようかなぁ~」っと悩んだ結果・・・。
貝塚ICから1つ先の岸和田和泉ICで降りて下道へ・・・(¥350損したぁ~)。
せっかく見知らぬ地を走るんだからどこか寄り道するとこないかなぁ~
と思い巡らして・・・一度行ってみたいと思っていた「岸和田城」に
寄り道することに決定!^0^。
まず目を見張ったのが門をくぐり天守閣に向かって歩いて行くと
天守閣の真ん前にある一風変わった庭園(石庭)です。
造園の本で見たことがあった庭だったのですが、
それがここだんたんだぁ~っと、ちょっとびっくりです^^;。
この庭園・・・周囲360度歩いて見れて、見る場所によっていろんな表情を見せます。
もう少し暖かければ、ベンチに腰掛けじっくり眺めたかったのですが・・・。
なんせ寒がりなもんで・・・^^;。
*ここで少し庭園「八陣の庭」の説明を・・・(パンフレットより)*
この庭は庭園設計の第一人者、重森三玲氏によって設計監督されたもので、
室町以前の城郭平面図をもとに地取し、処々に諸葛孔明の八陣法テーマに大将を
中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものです。
和歌山県沖の島産の緑泥片岩を用いた石組を京都白川産に白砂で囲み、
これに砂紋を描いて海中の蓬莱を表現し、それ以前の庭園にはなかった上空からの
俯瞰をも意識した近代感覚あふれた設計となっています。
『陣法:兵士を有効に活用するための配置の仕方』
3層の天守閣(以前は5層であった)入場料¥300を払い中へ・・・
1階2階は、岡部家の遺品のほか、武具や郷土ゆかりの民具、
古文書、美術品などが展示さた資料館となっており、
3階は360度、岸和田城下町を展望できるようになっていました。
高さが高さなので眺めは・・・^^;。
(天守閣前の庭園も上から眺めることができます。)
昭和に再建されたとのことで、お城自体はコンクリート造で歴史の重みは
感じれませんが、城下町である岸和田市の歴史を感じ、知ることができました。
小ぶりで親しみやすいお城は、岸和田市のシンボルとしての
存在感はしっかと感じました^^。
自分の住む町(生まれた町)にお城があるなんて素敵ですよね♪
10年以上前になりますが・・・団体旅行で知り合った、岸和田出身の女性が
だんじりとお城のことを自慢げに話してたことを思い出しました^^。
*岸和田城・・・(またまたパンフレットより)*
いつ、誰が建てたのか定かではないが、戦国時代(16世紀中頃)には、
当時泉州地方を治めた松浦氏の居城として現れる。慶長2年(1597)には、
秀吉の臣・小出秀政によって天守閣のある近世城郭として整備された。
その後、寛永17年(1640)岡部宣勝が入城、以後13代続き
明治維新までの230年間、 岡部氏が泉州統治の拠点とした。
岸和田藩は5万3千石であったが、城の規模は30万石級の大藩の城に
匹敵するほどの豪壮さであった。威容を誇った5層の天守閣は、
文政10年(1827)雷火により焼失。以後長らく再建されずにいたが、
郷土の思いをよせる市民の要望から、昭和29年に再建された。
(現在まで残されているかつての建造物は、石垣と堀の一部だけである)
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